7/9日記
タイトルがなかなか決められないので、軌道に乗るまでは日付にしようと思っている。
文章は今までたくさん書いてきた。特に、子供が産めないんだ、という現実がなんとなく頭の隅にチラついてきてから、意識的に記録を残してきた。
それは、こことは別の場所に保管してある。
なぜ書いたのか。
それは、ここまで自分たちはやり尽したけれど、それでも子供は授かることはないんだということを、自分自身に突きつけるため。
今の医療で最大限できることをやって、さらにその過程において自分たち夫婦が頑張り続けた記録を残しておけば、ここまでやりきったんだから、という諦めがつくかもしれないと思ったから。
というのもあったけれど。
もしかして方向が変わって、養子・AIDに進むかもしれないという考えも頭の片隅にもあったから。
もしそうであれば、未来に子供がいる。
その子供が、なぜ自分はこういう人生だったのか、こういう運命を背負わなければならなかったのかと迷い苦しんだ時に、私たち夫婦の選択の過程を客観的に伝えられる記録が必要だろうな、とも思ったから。
面と向かって、言葉で伝える大切さもわかるけれど、伝えきれないこともある。それに、数年前・数十年前の出来事に対して自分が思ったことを、まるで昨日あったことのように詳細を語るのは不可能だとも思ったから。その日その日に自分が考えたことは、その瞬間に書き留めておかなければ消えてしまうから。
まぁ、でも。そういうことを考える必要はもうないんだけどね。
私たち夫婦は、夫婦2人の人生を選択したから、子どもに向けてという意味では必要なくなってしまった。
今は、自分のため、かな。
自分の考えたことを文章にして客観的に眺めるという過程を経て、さらに気づきを得られることもあるし、1年後・5年後に読めば、あの時はこう考えていたけれど、今はこういう風に考えるようになった、というように、自分の成長過程を知れるかもしれない。
どこかに言葉として置いていかないと、私の頭の中でぐんぐん膨らんで収拾がつかなくなってしまうから、というのもあるかもしれない。
間違っていることも書くかもしれない。まだまだ私は知らないことがたくさんあるから。ただ、今の私は”こう考えている”ということを記録しておくためにここを活用していこうと思っているので、特にコメント欄は設けないようにしようと考えている。単なる記録に過ぎない。
間違っていることは、自分のペースで修正していきたいしね。
今は、そんな風に考えている。