トンネルの中から抜け出して

夫婦2人の人生で思うこと

小泉今日子さんの書評と今の私の心境

 小泉今日子さんの本。最近知った。

 

何日か前にすっぴんで雑誌か本に写真が載ったというニュースは耳にしていたけど、書評を書いていたのは知らなかった。

たまたま書評を紹介している記事を見つけて、いくつか読んでみた。

 

私が心に留まったのはやっぱり”四十九日のレシピ”についての書評だった。

内容についてはこちらの記事に書かれている。

 

nachu-bi.com


小泉今日子さんは誰もが知っているテレビの中の人。遠い遠い存在だ。私にとってはキラキラした遠い存在。

それが書評によって本人の心の揺れを感じ取れた。

 

私もある年齢に差し掛かり、今の現状と自分の心と将来に描いた家族観を揺さぶられた思いを経験した。だからこそ、小泉今日子さんの文章を読んで共感する部分があった。そして同時に、じわーんと心が温かくなる思いにもなった。

 


”頭でわかっていても心がついていかない”

何度も何度もそう思って苦しかった時期があった。

自分の心の落としどころを見つけること、自分の心と折り合いをつける過程が大変だった。


背景は違っていても、小泉今日子さんの中にも何かしらの折り合いをつける過程があったんだろうなと思う。それが少し、心強かったりもする。あんなに遠いキラキラ存在の人にも、揺れる時期があったんだなぁって。

 


自分が妊娠・出産を経験すること。
そして、子供の存在がそこにあること。

という状況は、とても分かりやすい”証”なんだろうなと思う。誰の目に見ても明らか。ぐうの音も出ないほどに。


自分もそうありたいと思ったし、いつかそうできると思っていた。

その未来がこれからあるだろうと思える時期なら、ここまで揺れる感情はわかないんだよね。ピンとこない。


でも、その未来がないんだ(ないかもしれないんだ)ということが現実的になってくると、とたんに揺れる。私も揺れまくった。


だから、書評の言葉がじんわり響いた。その道を通って、その人自身の落としどころを見つけられたからこその言葉なんだろうなぁって思う。とても優しい文章だと思った。

 

 


私もやっとやっと腑に落ちた思いにホッとしつつある。

途中過程はどうなることやらと思った。怖かった。自分の気が狂うんじゃないかと思う時期もあった。

 

落ちるところまで落ちて、ふっ切れたというか・・・。

 

自分の思いを様々なところに書き散らかしてきた。書くことで、自分の内面を見つめることができた。なぜ悲しいのか、何が悲しいのか、どうありたいのか、自分にとっての幸せは何なのか、夫婦にとっての幸せは何なのか、掘り下げて整理することができた。

 

そして”今”がある。

今までと日常は変わらない。

お弁当を作って夫を送り出し、ホッと一息ついて、猫のトイレを掃除して。

自分のやることをやって。合間に猫の姿に癒されて、時々いたずらする猫に手を焼いて、それでもかわいいからパシャッとカメラにおさめて。

夫が帰って来て一緒にご飯を食べて。ずーっと二人でしゃべってる。

 

その一つ一つの瞬間に、あぁこういう生活も悪くないじゃん、って思える。そしてそう思えることが幸せなんだなぁって実感する。

 


過去に”暇でしょ””昼寝してるの?”というようなことを言われたことがあった。言われた時の私は今の生活を否定されているように感じて、足元からガクッと崩れ落ちて倒れるようなショックを受けた。そのショックは、じわじわと私の心を削っていった。

 

でも今は違う。そういう人に対しては、”アホじゃないの?よくそんなこと人に言うよな。”ってきっぱり心の中でシャットアウトできるようになった。そう思えるようになったのは、しっかり自分の心を言葉にして整理してきたからだと思う。

 

それと、今の生活も悪くないじゃん、って思えているからだと思う。誰かに後ろめたさを感じるような生活を私はしていない。前は相手の言葉に取り込まれてしまったけれど、今は”いや、その考えはちょっとおかしいだろ”と境界線を引くイメージができるようになった。

 

人それぞれの選択、そしてどう折り合いをつけるのかは違うと思う。

私の場合は、今のところこんな感じなんだろうな、と思ってる。

 

 

 

小泉今日子書評集

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