逃げる人、逃げられない人、逃げない人
不妊治療して思ったこと。
どちらに妊娠を妨げる要因があっても、なくても、ずっと病院に通い続けるのは”妊娠する可能性のある側”なんだな・・・って。
当たり前といえば当たり前のこと。それはわかっているけれど、これが続いていき、なおかつ、パートナーが当事者意識を持っていないのであれば”孤独”なんだよね。
不妊治療って、授かれるか、授かれないかが世界の中心になっている感じになるけれど、それだけじゃなくて”孤独”っていうのもなかなかしんどいものなんだろうなぁと思う。
うちは要因があったわけだけど、そのことが発覚する半年前から病院に通い続けたのは私だった。
最終的に精子が回収できなかったからどうにもならなかったけれど、これでもし回収されていたとしてもその後に病院に通い続けるのは私だったわけで。
それも大変だったんだろうなぁと、今ならそう思える(あの当時は、それでも可能性があるんだったら頑張りたかったと思ったよ。たとえ孤独だろうが何だろうが、夫との子どもを授かれるんだったらって思ったんだけどね)。
逆に夫婦共にまったく妊娠を妨げるような要因がなかったとしてもそうなんだよね。妊娠しないという状況が続く限り女性は自分を責め続ける意識が働くかもしれない。なんで?って。どうして私妊娠できないの?って。
何か要因があろうが、なかろうが、その思考からはなかなか離れられない。そして病院に通い続ける・・・と。
そういう姿を見るしかない夫側もつらいんだろうね。それもそうなんだろうな。
ただここで、一緒にそのつらさを共有するのではなくて、考えたくないからと仕事に没頭していく人も一定数いるんだろうなぁとも考えてしまう。それは、”治療費を稼ぐ”という意味ではもっともらしい理由でもある。でも、不妊治療で悩むよりは、仕事に没頭して成果をあげる方が見えやすい達成感を感じられるというのもあるのかもね。
それは昨日のブログでも書いているけれど、”仕事さえしていればいい意識”とも関連しているような気がする。
仕事をしているから自分の役割を果たせているし、貢献感もある。一方で妻は、毎月生理がくるたびに”妊娠できない自分”という思考からなかなか逃げられず、喪失感が蓄積していく。
病院に通ったり、妊娠しやすい身体づくりという努力をしたとしても、なかなか望む結果につながらない現実は、達成感をどこにもっていったらいいのか非常に難しい。中には、心がどんどんすり減っていくように感じている人もいるかもしれない。そういう立ち位置から夫を見ると、置いてけぼりにされたような孤独を感じるのかもしれない。
一緒に考えたくて思いを共有したい妻と、なかなか望む結果につながらない現実から目を背けて仕事に没頭することで自分を保っている夫、という組み合わせはもしかしたら”あるある”じゃないだろうか。
なんかそういうことを考えていたらたまたま見たtwitterが目に留まった。
胎児診断で妻のお腹にいる我が子に異常が見つかり離婚を切り出し逃げる父親が時に見受けられるが男としては無論、人として如何なものかと思う
— ふらいと13 (@doctor_nw) 2015, 12月 22
ずしんときた。
誰だって自分の想像もできない現実を突きつけられたら、受け入れるまで時間がかかるだろう。すぐに気持ちを切り替えるなんてできない。それは、夫側も妻側も。
でも、妊娠・出産に関しては男は逃げられても女は逃げられない。そこは決定的に違うんだよね。それはお腹に宿るから。父親が逃げられるのは、お腹の中にいないからだよね。夫婦二人いるからの子供であっても、そこに関しては対等ではない。
これは、望まない妊娠をした場合にも言えることだ。
とても悲しいニュースが流れる時がある。
出産した赤ちゃんを遺棄、女子中学生(女子高校生)逮捕、という感じのニュース。
それに対するコメントをながめていて、誰かに相談しなかったの?とか、親は気づかなかったの?とかそういう声が多いんだなぁって思った。
ここでもパートナーは出てこない。逮捕もされない。妊娠させた状況をつくっただけで(ここまでは2人とも対等だけど)、妊娠中も出産後もパートナーが存在しなくても現実は進んでいく。男性側は自分のお腹に命があるわけではないから逃げていける。
一方は逃げられるけれど、一方は逃げられない。そういう状況が現実にあるんだなぁと知ってしまうと、なんとも釈然としない思いがする。
だから・・・。
2人で考え合えればいいのにね、って思う。
自分の体に変化が起きることじゃないから、ということじゃなくて・・・、だからこそ自分になにができるのかなという視点を持ち続けるのは大事だと思うんだよね。
逃げられない状況で、その上孤独なのはつらいよ。だからこそ、対等に向き合って考え合えればいいのにな、って思う。
もちろん、そういう視点を最初から持ててる人もいるんだよ。そういう男性も存在している。その意識がどんどん広がればいいなぁと思う。
逃げる人、逃げられない人、逃げない人。自分はどの立ち位置にいるのか、そして、どの立ち位置にいたいのかを考える瞬間があってもいいのかもしれない。