言い返してやりたいけれど、言えない、という思いから考えてみたこと
思いっきり言い返してやりたいけれど、なぜかグッと言葉が出てこない、という状況が私はつらいんだと思う。
それまでの人生でも、つらい時はあった。
学生時代は、なんだか友達とわいわいするのが苦手で、どうやったら溶け込めるのかなぁなんて思ってた。
仕事をしていた時は、ミスできないプレッシャーとか、年配女性への空気を読まなきゃならない対応にへきへきしていた。
その時期その時期でつらいことはあったけれど、その思いが強くなったのは結婚してからだったなぁと私は思う。
言い返してやりたいけれど、言いえない、という状況は最近読んだ漫画でも出てきている。
「ずっと独身でいるつもり?」と・・・。
もう一つは、現在GOGOパンチで連載されている「未中年」で。ちょうど今発売中の第三話でもそういうシーンがある。
発売中の「ゴーゴーバンチ」ナナトエリさん漫画、ジェーン・スー原作の『未中年』第3話、載ってます! pic.twitter.com/Y2o1S4GvRk 40女の物語です。生きていくって、いろいろあるよね! pic.twitter.com/W9HD4RaBca
— ジェーン・スー@選択的未婚権マイルド行使 (@janesu112) 2016, 1月 9
やっぱり、役割に縛られてることが関連していたんだろうなぁって思う。私の場合は。
その感情を自分の心の中で再確認できたのは、雨宮まみさんと栗原康さんの対談を偶然読んだからだ。
「結婚を意識した途端、恋愛がうまくいかなくなるのはなぜ?」雨宮まみさん+栗原康さん対談【後編】 | WANI BOOKOUT|ワニブックスのWEBマガジン|ワニブックアウト
雨宮 栗原さんが婚約者とだめになってしまった一連の経緯から、結婚というものを意識した瞬間からおかしなことになっちゃう人が多いんじゃないかという話が出てきました。
最初はただただ相手のことを大切に思っていただけなのに、結婚という形を意識した瞬間から、カップルの役割が生じてしまい、それを演じてしまう。それって、フェミニズムとも関係があると思っていて、結婚して良き夫・良き妻になるということは、相手のために何かを犠牲にするという考え方が刷り込まれてしまっているんじゃないか。恋愛だったらうまくいっていたことが急にうまくいかなくなることが、割と多いのではないかと。
栗原 やっぱり恋愛のときのほうが自由なんですよね。結婚を意識し始めると、人が交換可能な役割にすげ替えられてしまう。男はこうあるもの、女はこうあるものと社会的なイメージができてしまっているので、それを前提に付き合いはじめると、“ただただ好きだ”というのが本当は当たり前なのに、そうではなく、“付き合うと自分にとってメリットがあるから付き合う。ここはデメリットになるから付き合わない”という意識になっていってしまう。
実はぼく自身、当時はその考えに引きずられていていました。この子と結婚したら、自分にとっての利益ってなんだろう? って。少し考えてすぐにやめましたけど。
そうなんだよね。
”好きだから一緒にいたい”、という思いからスタートしているのに、結婚したとたんに役割にあてはめられるような状況になった。
妻だから○○しなければならない。
嫁だから○○しなければならない。
みたいに。
夫がスーツを着る時のYシャツも気になった。もし何か汚れていたら、”奥さん何やってんだ?”って思われるんじゃないかって。
義実家に帰省するときは、夫の服まで私は気になっていた。どこかほつれていないか、とか。それに、妊娠・出産を報告することができれば、私も嫁と認められるんじゃないだろうか。もっと義両親との距離も近くなるんじゃないだろうか、とか。
ガチガチに縛られていた時は、一つ一つの状況、行動が”妻として””嫁として”どうみられているかというのが気になって、それがストレスになっていた。でも、その時は、気づいていないんだよね。なんだろう・・・、洗脳されちゃってるみたいな感じだったのかな。
今は、”あぁ、役割に縛られ過ぎていたから私はそういう風に考えていたんだな”ということを客観視できるようになってだいぶ楽になった。義実家の帰省するときの服なんて、知らない(夫が好きな服を選んでいるわけなんだから好きな服を着ればいい)。ほつれていようが、気にすることもなくなった。
前より楽になれたのは、子どもを授かれないという苦しみと向き合うために、なぜ自分は子供がほしいと思うのか、なぜ私はこんなに苦しいのか、ということをいったん立ち止まって振り返ったからだと思う。
過去に書いていたブログを読み返して、あの時は○○と思っていたんだ、と振り返る。自分の状況を一歩離れたところから見てみる。そうすると、リアルタイムで進んでいる時には見えなかったことが見えてくる。
その繰り返しで、あぁ私は役割に縛られていたんだな、ということに気づけた。
もし私が、結婚して、そのまま妊娠・出産と進めていたのであれば、今度は”母親だから”という役割にも支配されていたのかもしれない。
子供がいるからこその幸せもあれるだろうが、母親になったからこその重圧も感じるだろうなと思う。
そう思うと、やっぱり”子供はいてもいなくても”なんだな、と思う。比較して、どちらがいいなんて言えない。その出ない答えを求め続けるより、私は、今の自分の道を正解にしていく努力を続けた方がいいな、と思っている。
ここ数年で自分に起きた出来事はとても悲しく、苦しい経験だったけれど、自分を客観視することで、今の自分も、そんなに、そこまで、悪くないじゃんって素直に思えるようになった。
それを30代で気づけたのは、私にとってはよかったことだと思っている。