なんとか帰ってきた
とりあえず、お正月の帰省は終了。一昨日帰ってきた。
今回も大変だったな。うん、大変だった。
前回の記事で、温度差が残酷であることを書いた。今回の温度差は、義父とだった。
立ち位置が違えば、その言葉の捉え方は違っていたのだろう。私が今、違う状況を生きていたのであれば、取るに足らない言葉だったのであろう。
なんなんだろうね。
学生→就職→結婚→子育てという道が絶対だと信じて疑わない人がいる。だれもそれが当たり前だ!なんて主張していないのだけれども、言葉の端々からそうであることが当然なんだろうなというその人の気持ちが透けて見えてくる。
さらにそれが、”一人前””親孝行”であるみたいな、もっともらしい正論とセットで信じているんだろうな。
だから息苦しいんだ。レールから外れた時に”これでもか!”というくらいに突きつけられる(もちろん個人差はあるけれど)。
それはその人の努力とか根性とか能力とか、そういうことだけが影響しているわけではないのにね。
とりあえず義父には、”もし自分が無精子症だってわかれば見え方が変わるよ”、って言ってやりたい。
誰も悪くないんだけどね。その人の当り前の初期設定が根本的にまったく違っているからなんだろうな。それが時として残酷なんだよ。
盆・正月が近づくと憂鬱になる人はたくさんいるだろうな。きっと親戚の集まりで、友達の集まりで、まさに”悪気はない”残酷な温度差が繰り広げられてるんだろうな。
この立ち位置にいるからこそ、よくよく痛感するようになった。
少しずつ日常を取り戻すよ。そして、おかしいと思うことはおかしいといったん文章にして客観的に省みていこうと思う。