まだまだできないこと
夫との子どもをいまの医療では望めないとはっきり突きつけられてから2年以上が経過した。
自分の心と向き合ってきて、なぜこんなに苦しいのか、なぜこんなに私は子どもを望んできたのか考えてきた。
そして、自分のプレッシャーだけではなく、夫自身のプレッシャーのことも考えてきた。それは、男性学を知ってから、だいぶ腑に落ちてきた。
そうやって、自分ができる範囲でなるべく穏やかに過ごせる方法や思考パターンの癖を少しずつ今のライフスタイルに適応できるように変えてきた。
でも、まだまだできないこともある。
夫の無精子症が発覚してから、私は友人と会っていない。
それまでは、帰省のたびに会う時間を作っていたものの、パタッと辞めてしまった。振り返れば3年以上、会っていないことになる。
つながったのは、年賀状と、妊娠・出産の報告(もちろん受けてばかりだが)のメール連絡ばかり。
まだまだできないことはある。会えない自分に罪悪感がありつつも、私は仲の良かった友達が母親になっている姿を直視できずにいる。
1人は数か月前に第三子を産んだ。もう1人は第三子を妊娠中。あと数ヶ月で生まれる。会うということは、子供たちにも会うことになる。その子供たちの中に、私たち夫婦の子供がいないことがどうしても寂しくて、悲しくて、私はまだまだダメなんだ。
なんでかなんてわからないけれど、こういうものなんだ。それが運命なんだろうな。努力しても、努力だけで世の中全てコントロールできることはないんだ。それを嫌という程、この経験で思い知らされた。
私が10年間勤めていた場所は、小児科と産婦人科だった。子どもが大好きだったからその環境に身を置き、たくさんの子どもと接してきた。産婦人科では、何度も出産の瞬間に立ち会って、その感動をかみしめている家族を見てきた。もちろん、悲しみの涙を流す家族も見てきた。
それでも、私も”いつか”って思ってた。仕事がつらかった時、この経験がいつか役に立つ日がくるかもしれないから頑張ろうと自分を奮い立たせた時もあった。そして、私だったらこうしたいな、という想像が、その環境にいたからこそ膨らんでいた。
あまりにも急転直下過ぎた。すぐに子供を授かるとも思っていなかったけれど、せめて30代のうちはできることを努力しようと思っていた。でも、私自身が子供を授かるために努力できることなんて何もなかった。何にもない。
養子もAIDも私の中の選択肢としてない。そもそも、その選択を心から望んでいる夫婦が進む道だと思っている。私が望んでいるのは、結婚した時も、そして今も、夫との子どもを授かること。だから私は選択しなかった。それを”血筋にこだわっている”と捉える人もいるんだろうな。なんか、そういういろんな意見は目にしてきたので、ため息が出る。
出産祝いも準備できなかった。出産報告のメールに返事をしただけだ。
買いに行くということはベビー用品を見なければならない。インターネットで探すのもまだつらい。
それができないということを、私は誰にも言えないまま、ただ心の中で罪悪感が蓄積している。だから書いてみた。
劇的に、今の苦しみが消える方法なんてないと思う。ただ、できることと、できないことを自分で整理して、自分の悲しみを認めることが必要なんだろうなと思っている。
いつか、いつか、できないことが、できるようになればいいなと思っている。